アレクサンドリア砲撃
Bombardment of Alexandria : 1882.7.11


アラービ・パシャの反乱
 1869年のスエズ運河開通以前から、運河の北口に近いエジプトの港湾都市アレクサンドリアは、ヨーロッパ〜アジア貿易の中継拠点として栄えていた。当時、エジプトはオスマン・トルコ帝国の支配下にあって副王が置かれていたものの、その政情は必ずしも安定していない。
 1882年、攘夷運動が激化する中、エジプト陸軍大臣アラービ・パシャ Arabi Pasha は、軍を掌握して反乱を企てた。反乱派は在留の外国人を排斥し、ついに6月には領事館が襲われている。
 イギリスは不穏な情勢に対応し、すでに5月からシーモア Seymore 提督を指揮官とする艦隊を派遣していた。艦隊は徐々に増勢され、6月の時点で装甲艦『アレクサンドラ』 Alexandra、『サルタン』 Sultan、『モナーク』 Monarch、『シュパーブ』 Superb、『インヴィンシブル』 Invincible、『インフレキシブル』 Inflexible、『テメレーア』 Temeraire と『ピネラピ』 Penelope が集結している。これは当時の地中海艦隊の大半であり、他に小型の砲艦『ビターン』Bittern、『ビーコン』 Beacon、『コンドル』 Condor、『シグニット』 Cygnet、『デコイ』 Decoy が加わっていた。これらの要目は後掲の一覧表を参照されたい。



HMS Alexandra

 イギリス地中海艦隊旗艦『アレクサンドラ』 Alexandra


 参加した装甲艦は、すべて航洋性の高い艦ばかりであり、モニターに類する艦はいない。最も新しい『インフレキシブル』が装備する4門の16インチ (406ミリ) 前装施条砲を始めとして、艦隊全部では最大40門以上の大口径砲が同一目標に指向できた。
しかし、沿岸作戦用に建造された『ピネラピ』を除けば、吃水が深く、海岸近くの浅瀬で行動するには不向きな艦ばかりである。これらは様々な大口径砲を装備していて、発射弾量は合計22,500ポンド (約10トン) に及ぶものの、すべて前装施条砲だった。発射速度は数分に1発程度で、けっして速くない。
 旗艦『アレクサンドラ』と、『サルタン』、『シュパーブ』、『インヴィンシブル』は、いわゆる中央砲廓艦で船体の側面に主砲を装備しているから、集中できる砲は全体の半分にすぎない。『インフレキシブル』と『モナーク』は砲塔艦で、『テメレーア』は特殊な砲塔と砲廓を混合装備している。『ピネラピ』も中央砲廓艦だが、意識的に吃水を浅く造られており、最も岸近くまで行動し得えた。しかしながら、艦隊では最も小型の装甲艦であって、装甲の厚さも十分ではなかった。砲艦は沿岸警備を主任務とする小型艦で、とても要塞に立ち向かうことはできない。

 艦隊にはさらに、海底電線敷設船『チルターン』 Chiltern が随伴しており、マルタ島からの海底通信ケーブルを利用して、ロンドンと直接連絡を取っていた。イギリスはエジプト政府に圧力をかけ、軍事介入を認めさせている。
 当時、エジプトに大きな影響力を持っていたフランスも軍艦を派遣していたものの、軍事介入に断を下すことができず、沖合で傍観するのみである。宗主国たるトルコには軍隊を派遣する能力がなく、イギリスの為すがままといった状態だ。
 アレキサンドリアと周辺要塞を占拠したアラービ軍は、要塞の間を繋ぐ海岸に砲兵を展開し、要塞そのものの防御も強化している。ただ、彼等は水雷を持っておらず、機雷を敷設する術も知らなかった。このため、艦隊にとっての作戦は単純な要塞との撃ち合いに過ぎず、各装甲艦は適地に錨を入れて陸上攻撃に専念でき、砲台の破壊に時間はかからないと予想されている。湾内は平穏で、航路を示すブイもそのまま残されていた。



lighthouse view

 灯台要塞を望見する(エッチング画)


 要塞の強化にあたるアラービ軍に対し、アレクサンドリア沖に進出したシーモア提督は7月10日、ただちに作業を止めなければ翌日に砲撃を開始する旨、警告を発した。エジプト側がこれを無視したので、彼は敵軍司令官に対し、正式な回答がなければ11日午前5時をもって要塞への砲撃を開始するという、最後通牒を送っている。
 要塞の装備する砲は旧式で、ライフルを持つものが44門、前装滑腔砲が211門、臼砲が38門であった。この中で最も強力なのは、5門の10インチ (254ミリ) 前装施条砲である。施条砲からの総発射弾量は9,400ポンド (4.3トン) と言われるが、広い範囲に分散しているから集中できる弾量は艦隊よりずっと少ない。滑腔砲の多くは骨董品的な存在で、砲架は腐朽しているし、防御も胸壁がせいぜいだった。弾薬庫や建築物は要塞背後の平地に建てられており、格好の標的となっている。



egyptian battery

 旧式な要塞の砲台


 シーモアの作戦では、『インヴィンシブル』、『モナーク』と『ピネラピ』が港内へ入る部隊となり、メックス要塞と付近の砲列を攻撃する。『インフレキシブル』はコルベット水路に陣取ってこれを支援し、『サルタン』、『シュパーブ』、『テメレーア』と旗艦『アレクサンドラ』は、灯台砲列とラス・エル・ティン半島の他の砲台を攻撃することとされた。これの終了後、『サルタン』、『シュパーブ』、『アレクサンドラ』は、東側へ移動してファロス要塞とシルシレー砲台を攻撃する予定だった。砲艦は港外に止まり、迂闊に砲台の射程に入らないように注意されている。
 夜が明けると天候は良く、海は穏やかだった。北西の軽風が吹いていたから、砲煙は海岸へ向かって流される。朝7時、まず『アレクサンドラ』がアダ要塞に向かって口火を切った。『インヴィンシブル』にも攻撃開始の信号が送られる。



colour map am

 アレクサンドリア砲撃図・午前


 イギリス側の砲撃は発射速度が遅く、また不発弾も多かったという。当初『アレキサンドラ』、『サルタン』、『シュパーブ』は移動しながら砲撃を行ったが、命中率が悪いので半島の沖合に投錨し、ようやく効果が上がるようになった。
 『インヴィンシブル』と『ピネラピ』はメックス要塞から1,100メートルの地点に錨を入れていたが、錨を上げて600メートルまで距離を詰め、移動しながら砲撃を続行した。『モナーク』は前後進を繰り返している。『インフレキシブル』と『テメレーア』は、投錨したまま射撃を行った。『インフレキシブル』は一方の砲塔でウーム・エル・ケベベを、もう一方で灯台砲列を攻撃している。一時『テメレーア』が坐洲したが、『コンドル』の支援を受けて損害なく脱出に成功している。

 8時半、砲艦『コンドル』の指揮官ベレスフォード Charles Beresford は、西側のマラボー要塞がまったく攻撃を受けていないことに着目し、巧みに死角からこれを攻撃して大きな戦果を挙げた。彼は要塞に極端に接近して投錨したため、要塞の砲弾は俯角が不足して艦を飛び越えてしまい、彼の射撃によって要塞の砲はほとんど沈黙させられてしまったのだ。

 12時45分、『インフレキシブル』と『テメレーア』は、移動して目標をファロス要塞と東側の砲列に移した。14時半にはこの方面からの射撃も止んでいる。それでもファロス要塞の一部は16時半まで射撃を続行していた。
 14時頃、ブラッドフォード Bradford 将校に率いられた12名の志願者がメックス要塞付近に上陸し、2門の10インチ前装砲と6門の滑腔砲の火門に楔を打ち込んで射撃不能にした。彼等は損害なしに帰還している。
 日没が近付き、17時30分に攻撃中止の命令が発せられた。翌日の戦闘に備える命令も出されたが、翌12日は天候が悪く、次の攻撃は13日に延期されたものの、すでにエジプト側は要塞を放棄しており、要所に放火して撤退した後だった。



colour map pm

 アレクサンドリア砲撃図・午後


 要塞はイギリス艦隊の占領するところとなり、この戦争での装甲艦の場面は終わる。イギリス側の損害は、艦隊の合計で戦死5名、負傷28名にとどまった。
 この戦いでは、不発弾の処理に大きな勇気を見せた『アレクサンドラ』砲手イスラエル・ハーディングに、ヴィクトリア・クロスが授与されている。彼は、命中して甲板上に転がった炸裂弾を、導火線にまだ火が着いているにもかかわらず、拾いあげて水桶に投げ込んだものである。『コンドル』のベレスフォード艦長も旗艦に呼ばれ、提督の賛辞を受けた。

 『アレクサンドラ』は60発以上の命中弾を受けたが、内24発は装甲範囲外へ命中していた。『ピネラピ』には8発、『インヴィンシブル』にはおよそ12発が命中したものの、『シュパーブ』には1発が水線部分に鈍く当たっただけで、『サルタン』は一部の水線装甲帯が緩んだだけとされる。『モナーク』と『テメレーア』からの負傷者の報告はない。戦闘後も全艦が戦闘能力を保持していた。『インフレキシブル』の被害は、敵弾によるものよりも、自分の発砲爆風による方が大きかったという。

 エジプト側ではおよそ2千人が参戦し、150人が戦死、300人が負傷したと伝えられる。しかし物的損害は小さく、施条砲では合計10門が破壊されただけだったようだ。ファロス要塞は甚大な被害を受けたが、なお5〜6門の施条砲が使用可能であった。ウーム・エル・クベベ砲台は『インフレキシブル』の16インチ砲で攻撃されたものの、わずかに1門の古い滑腔砲が破壊されただけに止まっている。
 両軍ともに炸裂弾を用いていたが、イギリス艦隊は触発式、エジプト側は導火線式の信管を使用していた。
 発射弾数は、砲の半分近くが非敵側にあったことを考えても、大口径砲で1門あたり20〜50発でしかない。攻撃がおよそ12時間にわたったことを考えれば、意外なほどに少ないのが判るだろう。15〜30分に1発しか発射していないのである。移動の時間を考えても、2〜5分に1発の最大発射速度にはとうてい及ばない。『ピネラピ』の発射数は多いが、位置からして両舷戦闘を行った可能性がある。



HMS Inflexible

 最新鋭の砲塔艦『インフレキシブル』 Inflexible


 イギリス艦隊は大きな損失なしにこの作戦を終えたが、一般に軍艦は要塞に対して不利であり、これを完全に破壊するためには、よほど集中して攻撃しなければならないとされる。『インフレキシブル』の巨砲も予想されたほどの効果は上げられなかったけれども、これは不発弾が多かったのが原因と思われる。
 理由としてイギリスのパーシー・スコット Persy Scott (砲術の大家) は、落角が小さいため砲弾に十分な衝撃が加えられなかった可能性を指摘している。構造上、砲に大きな仰角を与えられないので、弾道が低いために着地する角度が悪く、弾丸が土を掘り進んでゆっくりと停止することが多かったのかもしれない。この当時、『インフレキシブル』の徹甲弾は信管を付けておらず、炸薬は命中の衝撃による圧縮発火を前提としていた。
 観戦したアメリカの海軍士官は、要塞の砲は戦闘後も塗装に何ら変化がなく、とても対等の戦闘だったとは言い難いとし、低い弾道の砲弾は土木作業には不向きであるという、ウィットに富んだレポートを書いている。さらに、もしエジプト側が臼砲を有効に使っていれば、イギリス艦隊は、甲板装甲を持った艦しか作戦を継続できなかっただろうとの推測もしている。『アレクサンドラ』、『テメレーア』、『インフレキシブル』と『シュパーブ』がこれに該当するが、『テメレーア』は砲塔に天蓋を欠いていた。



damaged lighthouse

 破壊された灯台要塞(エッチング画)


 アレクサンドリアを放棄したアラービ軍は内陸に撤退し、艦隊はポート・サイドやイスマイリアから陸戦隊を上陸させ、彼等を追い詰めていった。完成直後に艦隊に加わった『オライオン』 Orion は、アレクサンドリアの戦闘には間に合わなかったが、陸戦隊を派遣している。陸戦ではテル・エル・ケビルの戦いが有名である。
 この戦争の結果、イギリスはエジプトとスエズ運河を実質的に占領し、戦闘を傍観していたフランスの政治的発言力は低下した。宗主国トルコの威信も地に落ちた。以後、1956年のアラブ連合ナセル大統領による国有化まで、スエズ運河はイギリスが支配し、歴史に大きな役割を果たしている。



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 『アレクサンドラ』の被弾痕を前に記念撮影


 この戦闘は、軍艦による対要塞戦闘として旧態最後のものと言えるだろう。この時点ですでに魚雷は実用化されており、この後、砲や砲弾の急激な進歩によって、『アレクサンドラ』のように60発以上もの命中弾を受ければ、戦艦といえども戦闘能力に大きな損失を被らざるを得ないようになった。また、敷設される機雷は致命傷を与えるだけの威力を持ち、高速の水雷艇も大きな脅威となってくる。
 こうして、戦艦は沿岸攻撃に重大な危険を抱えることとなり、この種の攻撃自体が、周囲の脅威を排除してから行われる二義的な戦闘手段となってしまった。



戦闘に参加した各艦の要目
艦 名 完成年 排水量 吃 水 主兵装(発射数) 乗組員 舷側装甲 甲板装甲
ピネラピ 1868 4,470t 5.1m 8inMLR x 8 (231) , 5inBL x 3 (?) 223 6〜5in なし
モナーク 1869 8,322t 7.4m 12inMLR x 4 (125) , 9inMLR x 2 (54) , 7inMLR x 1 (21) 515 10〜4in なし
インヴィンシブル 1870 5,909t 6.9m 9inMLR x10 (140) , 6inMLR x 4 (131) 450 8〜6in なし
サルタン 1871 9,290t 8.1m 10inMLR x 8 (?), 9inMLR x 4 (?) 400 9〜6in なし
アレクサンドラ 1877 9,492t 8.0m 11inMLR x 2 (48),10inMLR x10 (221) 670 12〜8in 1.5in
テメレーア 1877 8,540t 8.2m 11inMLR x 4(136),10inMLR x 4 (84) 534 11〜5in 1.5in
シュパーブ 1880 9,710t 7.8m 10inMLR x16 (310) 620 12〜7in 1.5in
インフレキシブル 1881 11,880t 7.8m 16inMLR x 4 (88) 484 24〜14in 3in
コンドル (砲艦) 1877 774t 4.0m 7inMLR x 1、64pdr x 2 100 なし なし

※ MLR:前装施条砲・BL:後装砲・ 64pdr:64ポンド前装滑腔砲
『ビターン』、『ビーコン』、『シグニット』、『デコイ』は基本的に『コンドル』と同型

※アレクサンドリア、アレクサンドラの英語での発音は、それぞれアリグザーンドリア、アリグザーンドラがより近いだろう。ここでは原音にこだわらず、一般化している表記を採用した。


参考文献
●All the world's fighting ships 1860-1905 / Conway Maritime Press
●Battleships in Action 1-2 / H. W. Wilson (1926) / Conway (1995)
●Big Gun 1860-1945 (The) / Peter Hodges
●British Battleships 1860-1950 / Oscar Parkes
●Tel El-Kebir 1882 / Donald Featherstone / Osprey



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